綺麗になんて死ねない

病院に向かう途中、篤姫などをつけていたが、病人が死に際まで随分と理性的でしっかりしていた。
病室に入ると、母が体を起こしていて、ベッドから降りたがっていた。自分がどこにいるかわからず、父さんが最後にいたあの病院だというとわかったらしい。
手を貸して降ろしたら、ベッドの向こうに回りたいと言う。
点滴チューブがつながっているので、向こうに回りたければ、最初から向こうに降りなければならなかった。またベッドの上に上げて向こう側に回って降ろした。それから、外に出たいと床を四つん這いになって進み、玄関はどこ、という。近くに庭に通じるガラス扉があり、そこを開けろという。這って行くわけにいかないから車椅子にしようと言ったが、一刻も早く外に出たいのか、嫌がる。看護婦が来たので車椅子を持ってきてもらう。看護婦は鎮静剤を使っていいか聞いた。お願いすると、セレネースと書き込んである生食を持ってきて、ルートにつないだ。乗るまで散々押し問答したが、いざ乗れば早く押せと。看護婦についてきてもらい、庭を一周。ここが父さんのいた病室だったでしょう。あの時は春だったから眺めは違うけれど。
さらに敷地の外に出たいという。病室に戻りたくないという。看護婦についてきてもらい、がんセンター南側の職員宿舎前を通り、東側入口から病院に入った。
病室に戻りたくない。最後に見られるだけのことを見たいという。あんたには分からないだろうと。一階の自販機コーナーでイチゴオレを買う。お前も買えというのでコーヒーを買う。苛立たしげに見るので何かと思えば、看護婦にも買え、と。看護婦は手を振って固辞した。母は気がきかないとお冠。
病棟に戻ると、サンルームの窓に寄せろ、という。しきりにブラインドを上げ下げし、開けろ、外に出ると。このまま庭を進めというが、段差があって進めない。庭にでるなら、建物の中に戻って戸口から出なければ、と言ったが聞きいれず、車椅子から降りようとする。後から思えば、その時、痛み止めの皮下注の針が外れたのだろう。痛い、殺す気なんだろう、という。車椅子の座面と足置きの間に尻からすっぽり嵌りこんでしまう。看護婦が三人来てくれて、車椅子に戻して病室に帰った。別の薬をということでコントミンというのを使った。やがて眠くなり、落ち着いた。